思想・哲学・宗教
2014年4月21日 (月)
自己保身と自己犠牲
「貧すれば鈍する」からこそ「痩せ我慢」が意味を持つ。
貧して鈍するのは「文明性」であり、貧すごとに人は「自然性」に還る。
自分の身を守るのが「自然性」だとすれば、その反対の「文明性」とは自分の身を呈することにある。
自己保身は生物に共通の自然性であり、自己犠牲は反自然的な文明性なのである。
生物にも自己犠牲的行動は見られるが、リチャード ドーキンスによればそれは遺伝子を守っているのである。
遺伝子を守るのが自然性なのだとすれば「遺伝子を外在化した言語による行動プログラム」を守るのが文明性だと言える。
例えば、我が子を戦地に送り、統治者としての誇りを守る王や貴族のように。
自己保身は身を滅ぼし、自己犠牲は身を助ける。
2014年4月20日 (日)
鏡のアフォーダンス
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私は「物」を見ているのであり、写真には「物」が写っている。
「物」を見ることと、「写真に写る物」を見ることの違い。
「目に映る物」を見ることと、「写真に写る物」を見ることとの違い。
「目に映る物」を見ることと、「目に映る写真に写る物」を見ることとの違い。
「目に映る写真に写る物」を見ることと、「目に映る写真に写る写真に写る物」を見ることとの違い。
人間はミラーマンであり、その他の動物はミラーマンではない。
水を飲用としてのみならず、鏡として利用するのは人間だけ。
鏡のアフォーダンス。
人の身体は、人の身体のみで完結しておらず、身体外部に存在する「鏡」もまた、人間ならではの身体の一部なのである。
進化論的に、鏡は生物身体のどの部位に発生したか?一つは眼球の光量増幅のための反射鏡として存在する。
またある種の昆虫は、鏡を擬態として利用する。
また、イカやタコの身体構造が鏡だとすれば、これも擬態に利用される。
いや違うのだ。動物の目は本質的に鏡なのであり、外部にもう一枚の鏡を見出す人の目だけが「合わせ鏡」になっている。
鏡は本質的に合わせ鏡なのである。
本質認識は事実認識ではない。
事実を事実として見ない人は、事実が存在する証拠を隠蔽しているに過ぎない。
知覚するのではなく、知覚を知覚すること。
すなわち、見るのではなく、見ることを見ること。
そして、写真を撮るのではなく、写真を撮ることを撮ること。
見るだけの人と、見ることを見る人とがいるように、写真を撮る人と、写真を撮ることを撮る人とがいる。
絵描きにも、絵を描く人と、絵を描くことを描く人とがいる。
2014年4月19日 (土)
犯人と証拠
2014年4月17日 (木)
構造と反復
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人は目覚めている間もずっと夢を見ていて、その夢から逃れることは出来ず、目覚めることはない。
即ち、人は夢の中で傷付けば現実に傷つき、夢の中で失敗すれば現実に失敗し、夢の中で死ねば現実に死ぬ。
夢の中にしか生きえない人にとって、夢でしかあり得ないものが現実でしかあり得ないものになる。
現象は現実とは異なるが、現象と現実は連関している。
似たことが繰り返されることが「関係」と言われる。
記憶が反復を支えている。
iPhoneのカメラアプリを立ち上げると、液晶に風景が映し出される、という「現象」が生じる。この現象は、人の認識として現れる「現象」と同一ではないが、共通する要素も持っている。
われわれは現実を見ているのではなく、現実が存在する「証拠」を見ている。現実は決して直接見ることは出来ず、間接的な証拠だけを見て、現実の存在を確信している。
反復の記憶が現実の存在の証拠となる。
移動が反復を生み出す。
もし、網膜に映る像が固定されてしまったならば、目は見えていても何も見えていないのと同じことになる。
人間は他人を見て、自分が存在する証拠を掴む。
自分の存在は他人が存在することの証拠となる。
構造とは反復であり、反復のないものに構造はない。
オリジナリティの高いものは内在する反復を持っている。
自分の絵を見ながら描く、自分の音楽を聞きながら演奏する、ということには反復が含まれ、見ないで描き、聞かないで演奏することの内に反復はない。
反復は生命の本質
反復が終わると生命も終わる
内在的反復と、外在的反復とがある。
人は見えない「現実」が存在する証拠を集めながら、その証拠の隠蔽工作を図る。
人は現実から目を背けるのではなく、その証拠の隠蔽工作を図る。
人は現実が存在する証拠を見つけてはそれを隠す。
2014年4月15日 (火)
現象学の練習
我ながら頭が石のように固くて呆れてしまう。
自分の頭の固さを意識すると、少しずつ頭が柔らかくなる…
現象学的な「構」を首尾一貫して純粋に守ること、
自然的な「構」のうちで生活し、考え、心理的なものを自然主義的に変造してゆくという、自然発生的な習慣を克服するのは、生易しいことではない。-フッサール
世界は存在しているのではなく反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復されている。
目の前のものは存在するのではなく繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しり返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しり返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しり返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返されている。
我々はものを見ているのではなく何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も見ている。
人はものを見ているのではなく見たものを回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想回想している。
人は人生を生きるのではなく反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復する。
認識してるのではなく記憶が回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰回帰している。
認識ではなく感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入感情移入している。
フッサール読みながら現象学の練習してます。
言葉には明快な階級差があり、つまり哲学が難解なのも、そういうこと。
世界を存在としてではなく現象として語ること。
目の前に人が存在しているのではなく、目の前に人があたかも存在しているように現象している。
目の前の人は物理的な存在ではなく、心理的な現象。
カメラで写真を撮っただけでは写真にはならず、撮ったフィルムやデータを現像しなければ写真にはならない。このように、写真とは現象であり、人間もまた同じ。
現象は自然ではない。
現象は自然ではなく本質を持っている。
2014年4月14日 (月)
文明と背理
感情移入と認識。
時間の流れ。諦観と経験。
油断すると、文明人の精神はすぐに自然化し、文明人しての理に背く。
背理となる自然化を許さないこと。
自分の精神の自然性の発露とその動きを、事あるごとにチェックしモニターし続けること。
糸崎さんは頭が柔らかい、などとたまに言われるが実のところぼくは非常に固い人間で柔軟性が無い。
柔軟性が無いからこそ、他人の考えを理解したり取り入れたり受け入れたりできず、結果として自分のやり方に凝り固まった表現になり、他人から見て柔軟で独自性がある、と誤解されているに過ぎない。
アタマが固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!固い!
一見、柔軟な発想の元に生み出されたフォトモなどの自分の作品は、だからこそ実は逆説的に自分の頭の固さが如実に現れている。
まず自分の頭の固さを自覚しなければ、これを克服する道は開けない。
2014年4月13日 (日)
回想と反復
現象は、常にさも現実であるかのように自動翻訳される。
人間の現象は歴史の産物でもある。
なぜなら、言語が歴史の産物であり、固有の歴史を持っているからである。
美術作品とは現象であり、しかも二重の現象である。
美術作品は第一に現象として製作され、第二に現象として認識される。
芸術とは現象であり、内部でこの現象が生じる人と、生じない人とが存在する。
現象は回想の回想であるところの再回想として体験される。
知覚現象は、それが生じた瞬間から過去へと流れ去り、再回想されることで現象として体験される。
何度も繰り返される同様の知覚現象が、知覚現象そのものを成立させる。
万能感は素朴で自然な感情で、その意味では誰にでもある。
万能感を克服するには、自分の万能感を注意深く観察する必要がある。
観察とは他人との比較で、他人を見て自らを反省する視点であり、反省により自分の万能感を対象化する第三者の視点が生じる。
「今起きたこと」を繰り返し思い出しながら「今起きていること」を繰り返し認識する。
知覚が反復され、回想が反復され、忘却が反復される。
人は常に同じものを繰り返し見て、繰り返し見るものを見るたびに繰り返し思い出し、一方で忘れたものを繰り返し忘れ闇の中に葬り去ろうとする。
反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復反復するものだけが現象として立ち現れる。
2014年4月12日 (土)
現実と現象
現実と思えるものは、ことごとく夢幻(ゆめまぼろし)に過ぎない。
夢幻だからこそ、現実と思えるものには確かなリアリティが感じられる。
夢はリアルだからこそ夢であり、例えば泥棒して捕まれば刑務所に入れられる、というリアリティも、夢幻の中での出来事だからこそ、ありありとリアルな掟として感じられるのだ。
現実を見ているのでは無く、知覚世界に起きる現象を見ているのである。
現実そのものを見たり、現実そのものに触れたりすることはできない。
われわれは現実を見たり現実に触れたりしているつもりで、その実、現実に触発された現象を知覚しているに過ぎない。
夢が現実に触発された現象であるのと変わりはない。
夢も、現実と思えるものも、現実に触発され発生する現象であることに変わりはない。
現実は現象の原因であり、現象は現実そのものではあり得ず、現象は現実と必ず異なっている。
夢を見ているだけで済まされないのは、夢は現実の影響を受けるのであり、その意味で、たとえ夢の中にあっても現実の存在を無視しないわけにはいかないのである。
現象を現実と錯覚する態度が「素朴」と言われる。
文化が死滅し人は素朴に還る。
人は現実に対しリアリティを持つのでは無く、現実の触発により発生した現象に対しリアリティを持つ。
生命とは生命現象であり、現実とは生前と死後の世界なのである。
生きているうちは現象だけが見えて、死ねば現実に還る。
人生が夢幻なら、死ねば現実に目が開かれる。
ということは、赤ん坊は現実を見て泣き叫び、ほどなくして夢の世界へと堕ちて行く…?
知覚世界の全てが無根拠の夢幻ではない。
現象にはそれが触発されるところの原因があり、その根拠が現実なのである。
例えば、前方に見える木に向かって歩けばやがてぶつかり、その木が現実に存在することは確認できる。
だがその木は少なくともあ「目に見えるように」は存在しない。
2014年4月11日 (金)
反省と機能
より以前の記事一覧
- 鑑賞と参照 2014.04.10
- 癌細胞と言語の喪失 2014.04.05
- 人間と改造人間 2014.04.04
- 素朴な人と、自然とは何か? 2014.04.03
- 通俗と電圧 2014.04.01
- 親からの興味と他人への興味 2014.03.27
- 神は全てを知り、人は全てを忘れている 2014.03.26
- 知ることと思い出すこと 2014.03.26
- 貧しさを引き受ける 2014.03.24
- 正しさと正しさ 2014.03.23
- 信仰と恣意性 2014.03.21
- 動物とイデオロギー 2014.03.18
- 反省と類型 2014.03.17
- 商売と真心 2014.03.16
- 迷いの森と信仰の平原 2014.03.15
- 成長と変身 2014.03.12
- 自分の姿とポジション 2014.03.07
- 認識と言語 2014.03.06
- 学歴とブランド 2014.03.05
- 風景と鏡 2014.03.03
- 神と博愛主義 2014.03.01
- 博愛主義と強い立場 2014.02.28
- 言語と多機能 2014.02.27
- 間違いと出発点 2014.02.25
- 猿の比較 2014.02.21
- 舞台と観客席 2014.02.19
- アリストテレス『形而上学』メモ 2014.02.18
- 想起説の証明 2014.02.15
- 「人間の素体」と日本人 2014.02.15
- 東大生と日本人 2014.02.15
- 外部思考とアフォーダンス 2014.02.11
- 創造と抑止 2014.02.10
- 恨みと真実 2014.02.09
- デジカメと想起説 2014.01.29
- 比較と自由 2014.01.25
- 歴史と大虚構 2014.01.25
- 満腹と空腹 2014.01.25
- 不安とおだて 2014.01.25
- 精神と野菜 2014.01.25
- 常識と学説の生態系 2014.01.25
- 快楽と怠惰 2014.01.25
- 断片と綜合 2014.01.25
- 死にかかった悪人 2013.11.20
- 非国民と非写真家 2013.11.20
- 書きたい気持ち 2013.11.19
- 清らかなヤクザ 2013.11.09
- 芸術とヒヨコ 2013.11.08
- 本家と借り物 2013.11.05
- 素人と専門家 2013.11.04
- 嫉妬について 2013.11.03
- 直接的不幸と間接的不幸 2013.11.03
- 日本人を恨むのはもう止めよう! 2013.11.01
- 理由と物語 2013.10.11
- 認識と節約 2013.10.09
- 怠惰と希望 2013.10.08
- 破壊的構築と構築的破壊 2013.10.04
- 才能と動機 2013.10.01
- 『ファスト&スロー』メモ 2013.09.30
- 死の谷と進化 2013.09.26
- 選択と分岐点 2013.09.25
- 夢の話の続き 2013.09.23
- 効率化としわ寄せ 2013.09.22
- 夢と辻褄 2013.09.22
- 先生一人、生徒一人 2013.09.20
- 心配と想像 2013.09.14
- 『歴史は「べき乗則」で動く』メモ 2013.09.12
- 欲望を制するのは難しい 2013.09.11
- 開かれた系と他者 2013.09.11
- 蓄積と構造 2013.09.10
- 正しい人と強い人 2013.09.08
- 自分の足を引っ張る者 2013.08.31
- 夢鬱つ 2013.08.31
- 感情と注意力 2013.08.27
- 成功は失敗の素 2013.08.26
- 読書の実験 2013.08.25
- 気分の運転 2013.08.24
- 親切と見返り 2013.08.21
- 神と試練 2013.08.20
- 借り物と返却 2013.08.19
- 欲望と自制心 2013.08.18
- お金と感謝の心 2013.08.17
- 死刑囚の惑星 2013.08.16
- 偶像と自分 2013.08.14
- 形式とメッセージ 2013.08.13
- 臆病と迷路 2013.08.12
- 幻覚と幻痛 2013.08.10
- 古い自分と赤ん坊 2013.08.09
- 天国のような地獄 2013.08.07
- 正直な悪人 2013.08.06
- 遠近法と序列 2013.08.02
- 言い切りと言い足り無さ 2013.07.28
- 芸術と庶民 2013.07.21
- 人生の脇役 2013.07.19
- 自己中心的と、自己周辺的 2013.07.16
- 他者排除と自己排除 2013.07.15
- 社会の掟と自然の掟 2013.07.13
- 欲とバイアス 2013.07.10
- 強い人の弱さ 2013.07.09
- 欲と認識 2013.07.08
- アーティストと褒め言葉 2013.07.06
- 抑制と利益 2013.07.05
- 認識と疑い 2013.07.04
- 罪と手柄 2013.07.03
- 認識と環境変化 2013.07.03
- 賢者と比較 2013.07.02
- 主張と行き詰まり 2013.06.29
- 鏡のトンネルと第一の鏡 2013.06.21
- 一流性と思い付き 2013.06.18
- 観察と即断 2013.06.17
- 臆病な善人は存在しない 2013.06.06
- 死んだ人のように何も持たずに生きる 2013.06.03
- 信仰という籠 2013.05.28
- 唯女子と小人とは養い難しとなす。 2013.05.20
- 視覚は死角 2013.05.18
- 水子の霊と大人の世界 2013.05.16
- 原点と生まれ変わり 2013.05.13
- 反省と成果 2013.05.12
- 絶望と好奇心 2013.05.11
- 万能感とファンタジー 2013.05.09
- 価値と生き物 2013.05.06
- 自分の事しか考えない人 2013.05.05
- 認識の分離と万能感 2013.05.02
- 万能感と人間関係 2013.05.01
- 認識と主張 2013.04.25
- 顔と顔つき 2013.04.20
- 内容と形式 2013.04.17
- 単調さと固執 2013.04.16
- 存在と根拠 2013.04.15
- 欲望とシェア 2013.04.13
- 感情と抹殺 2013.04.12
- 意味と強弁 2013.04.09
- 選択と失敗 2013.03.30
- 凡庸と希少 2013.03.29
- キャラの変え方 2013.03.29
- 麻薬と脳内麻薬 2013.03.14
- 脳内麻薬と同調圧力 2013.03.14
- 実は書くのが苦手なことの原因 2013.02.03
- 数学と脳の構造 2013.01.15
- 正しい意見と選択肢 2013.01.15
- 幸福と人生の無意味 2013.01.11
- 道と「我が道」 2013.01.11
- 知らずして知る能力 2012.12.28
- 河原乞食とインサイダー 2012.12.27
- 大乗仏教と関係論 2012.12.18
- 縁と無縁 2012.12.17
- イメージと言葉 2012.12.15
- 正しい人と正しい態度 2012.12.15
- 言語と埋葬 2012.12.15
- 永遠の生命と詐欺師 2012.11.22
- 段取りと永遠の生命 2012.11.22
- 反芸術と反父親 2012.11.22
- 「正しい人」と「罪人」 2012.11.21
- 法華経と共倒れ 2012.10.16
- 法華経の毒 2012.10.15
- 視点と心 2012.10.10
- ストレスと創造力 2012.10.08
- 反転と許容 2012.10.08
- 承認とストレス 2012.10.08
- ストレスに消力(シャオリー) 2012.10.08
- 死者と復活 2012.10.01
- 言葉の裏と言葉の意志 2012.09.30
- 賢者と他人事 2012.09.29
- 生きてると思ってたら死んでいた 2012.09.29
- 鏡像理論 2012.09.27
- 多様性の時代 2012.09.27
- 下流と貧乏は同じではない 2012.09.26
- 不得意な事を克服するコツ 2012.09.21
- 金儲けの秘訣 2012.09.21
- 冒険者と臆病者 2012.09.21
- 価値観の多様性を認めるコツ 2012.09.19
- 反省と失望 2012.09.16
- 正常バイアスと、同調バイアス 2012.09.16
- 変わり者でヘンな人 2012.09.14
- 言葉と意味 2012.09.11
- 言いなりか、拒絶か 2012.09.09
- 人間と無能 2012.09.09
- 認識と苦悩 2012.09.05
- 犀の角 2012.09.04
- 現実と幻 2012.09.03
- 反省と思い込み 2012.09.03
- ものの見方と見逃し方 2012.08.31
- プライドと通貨 2012.08.31
- 理解力と創造力 2012.08.27
- ムダと創造力 2012.08.27
- 反省するか棚に上げるか 2012.08.27
- 悪霊とイデオロギー 2012.08.27
- 我ヨリ他ニ神ハナシ 2012.08.10
- 責任と理屈 2012.08.10
- 大乗ラカン理論 2012.07.31
- オレがオレに騙されるオレオレ詐欺 2012.07.28
- 生物における《象徴界》(改題) 2012.07.28
- ラカン読書会メモ 2012.07.23
- 理不尽と霊界 2012.07.20
- 欲望の強さと認識力 2012.07.14
- 汝の敵とコピープログラム 2012.07.13
- 言葉が通じても話が通じない場合の対処 2012.07.11
- 客観と主観 2012.07.07
- 言語と幽霊 2012.07.07
- 言語と圧縮 2012.07.07
- 創造的発狂 2012.06.13
- 一般人と犯罪者 2012.06.13
- それぞれの環世界 2012.06.10
- 世間体と遮光壁 2012.06.10
- 老子と意訳 2012.06.02
- 問題解決と鍋の蓋 2012.05.25
- デザインと問題解決 2012.05.25
- 「心が無い人」についての仮説 2012.05.25
- 『みんなの森』のお話 2012.05.18
- 同調圧力と生贄 2012.05.18
- 嫌いな人が好きになれるお経w 2012.05.13
- 創造的自殺と生ける屍 2012.05.08
- 万能感と共同作業 2012.05.03
- 想像界と大霊界 2012.05.03
- 《象徴界》の言語と《想像界》の言語 2012.04.29
- 法華経の譬え話 2012.03.28
- 《象徴界》は「喩え」なのか? 2012.03.22
- 認識と例え 2012.03.04
- 構造と歴史 2012.02.22
- ソシュールの連辞と連合 2012.02.21
- ユニクロとメディアリテラシー 2012.02.21
- 子供とメディアリテラシー 2012.02.21
- 正直者と金儲け 2011.12.16
- 「やさしさ」と「正しさ」 2011.12.16
- 無力感とクリエイティブ 2011.11.19
- 子供と自己責任 2011.11.19
- 科学部デスクの昆虫的習性 2011.09.25
- 古典を読むのはナンセンスか? 2011.09.12
- ザ・シークレットのシークレット 2011.08.30
- 難解な本がスラスラ読める技術 2011.08.14
- 殺し合いにならない議論 2011.08.05
- エスタブリッシュメント種とホルスタイン種 2011.08.02
- 歴史教育と国民のコントロール 2011.08.01
- 国家と生物のイデオロギー 2011.07.28
- 人を見たら虫と思え 2011.07.23
- 思い込みともの忘れ 2011.07.23
- 放射能と差別 / 虫識のコントロール 2011.07.14
- 古代ギリシアの情報社会 2011.07.11
- トランスフォーマーと陰謀論 2011.07.10
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- 入門書で「分かること」の範囲 2011.07.10
- 人間の定義と愚者 2011.06.30
- 「人識」と「虫識」 2011.06.26
- 実家で読んでた本 2011.06.20
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- 箒と蛸壺 2011.06.09
- 権利の上に眠る者 2011.06.09
- プラトン『国家』メモ 2011.06.06
- 『孟子』メモ 2011.06.06
- 知識の骨格 2011.06.06
- 極端と中庸 2011.06.05
- 誤植と悟り 2011.06.05
- 夕べの反省・自然体と無責任 2011.06.04
- 「原発の安全」を信仰する国家宗教 2011.05.27
- 放射能以外に怖いこと 2011.05.03
- ウジシマくんの世界 2011.05.02
- 捨てる技術(できないけど) 2011.05.02
- 希望は絶望の反転 2011.05.02
- はじめてのトマベチ 2010.12.28
- 正しいクリスマス 2010.12.28
- 新国立美術館「ゴッホ展」感想tweet 2010.12.25
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- 貧乏人が適当に書くw必ず成功する実践ビジネス講座 2010.12.24
- カメラ操作のワンランクアップ術 2010.12.24
- モダニズムと構造主義 2010.12.24
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- 麻薬的習慣性 2010.12.07
- 「方法論的反省」ではなく「反省」 2010.12.05
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- 暗黙知 2010.11.29
- 写真と人類学 2010.11.26
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